なみおさんの日記

教育したりされたりする仕事をしています。

子どもがいて思うことは

自分の体調不良もあり、何と今週は4日もお休みをいただいてしまった。omg

今日は久々の出勤で色々な先生方に心配されまくり、そして仕事してもらいまくりで頭が上がらない。あぁ・・・

校長先生からは「年休と子育て休暇もったいないでしょ。実際、病気だったんだから療養休暇で処理しちゃって〜」とか言われてもうあなた神様ですか。みたいな。

(他の休暇に比べて日数の少ない子育て休暇は私にとって貴重)

 

自分の子どもと過ごしていて思うこと

 

子どもも発熱が長引き、家にずっといると飽きてくるようで元気になってくると幼いなりに「先生のとこ、いかないのー?」「○○ちゃん(友達)と遊びたいなあ」なんてことを呟き出します。

今、入れている保育園は運営面に対してかなり口を出したいところはあるものの、先生方に対してはとても信頼しています。でもその信頼はどこにあるかというと

「子どもが楽しく園に通っている。」

「帰ってくると今日あったことを楽しそうに話してくる。」

これに尽きます。温かい、心のこもった連絡帳のメッセージや子供の反応を見ると、絶対に先生方を悪く思うことはありません。でもこれって自分の仕事もそうだなと思う。

何にしても楽しく過ごしている、そして子供の成長が手に取るようにわかる。集団生活の中で悩み、苦しんでいることもあるのだろうけどもその中でも、今までできなかったことができるようになっている。分からなかったことが分かるようになる。

この 日々の生活 と 我が子の成長 の相互作用によって信頼関係が確立していくのだなぁと。ひしひしと思うわけです。そして自身に問いかける

「そういう思いを、自分の担任している子の親御さんたちに、どれだけしてやれているのだろうか?」と。

 

当たり前のことだけども。

 

子供の後ろには保護者がついています。子供の後ろにいる保護者の影を頭におきつつも、色々な言葉かけを考えていかなければならない。

この前テレビで見た「今でしょ!」の林修さんがおっしゃっていたけれども

「自分が子供だったころに、よくなかったことはやらせたくない」逆に

「自分が子供だったころに、よかったなということを押し付けるのもよくない」

感動と傷つき体験を基に自分の体験を子供に投影する、感動と傷つき体験を”再生産”する行為はよくない。現代社会は昔とは大きく変わっている。学習も文化も流行りも全くことなる。そういう中で「子供にもいいだろう」と思うことも少し立ち止まって「子供にとってはいいことなのかな?」とクエスチョンマークをつけて考えることが大切。

 

みたいなことを言っていた。学習指導や生徒指導においてもこの考え方は非常に重要だと思った。

これぐらい自分も子供の頃は言われていた。叩いたり蹴られたりするのも当たり前。だから、大丈夫だろう。

運動会のピラミッドだって5段タワーなんて平気だった。

成績を上げるために夜遅くまで塾なんて当然。でも、自分は友達と遊べなくて寂しかった。

放課後、遊べなくても音楽をやらせたり、スポーツをやらせたりさせたい。かつての自分もそれで成長できたから。

 

でもそれって「この子にとってはどうなの?」とふと立ち止まる。

でもこれも私自身が感動と傷つきの再生産をしているのかな。自分の価値観に惑わされてはいけない。40人いれば40人の生活があり、それぞれの生き方があるのだから。ね。