なみおさんの日記

教育したりされたりする仕事をしています。

体育主任のお仕事

 小学校において体育主任という校務分掌は非常に重く、量・質ともにボリュームのある分掌として知られています。一人前の登竜門として若手に振られ、その力が試される。

私は現任校で体育主任として働いていますが、その分掌について考え・行動することで多くの学びがありました。ツイートする前に「これ、ブログに書いた方がいいんじゃないか?」と思ったので、少しだけ体育主任の仕事について思うことを書いてみようかなと思います。ベテランの人からはあまり面白みのない記事かもしれませんが・・・笑

 

体育主任とは

体育主任とは教科・領域の校務分掌の一つです。はっきりとした定義があるわけではないのですが、ある著書の一部を引用してそれを定義としたいと思います。

 

 

実務が必ずうまくいく 体育主任の仕事術 55の心得

実務が必ずうまくいく 体育主任の仕事術 55の心得

 

 

体育主任は、体育・健康に関する指導の中心となって動く。そのため、体育の授業だけでなく、学校全体の仕事が多くなる。行事の運営、体育施設や用具・器具などを行う必要がある。
体育主任の主な仕事は次の通りです。
①体育科教育課程の編成 ②体育授業の充実を図る ③用具・器具と施設の管理 
④各種体育行事の企画・運営 ⑤運動クラブ・体育委員会運営

 

 

 ・・・となっています。他の教科と比べても非常に多くの仕事量を任されてしまいます。小学校の世界では3大分掌として「生徒指導主任・研究主任、そして体育主任」と、学校運営に大きく関わる仕事として挙げられることが多いと思います。

 しかし、これらの仕事を一人で行うことは不可能です。なので大抵の学校では体育部などが校内組織としてあり、体育主任を中心としてその業務を各学年にいる体育部の職員で行うことが多くあります。

 

 

①体育科教育課程の編成 ②体育授業の充実を図る ③用具・器具と施設の管理 これらは1セットとして考える。

  体育の授業の充実がまず第一の仕事として挙げられます。

 私がまず考えるのは体育館で実施するべき単元と校庭で実施するべき単元の仕分けです。1時間の中で体育館では1クラス、校庭ではせいぜい3クラスを実施するのが限界です。(広さ、規模にもよりますが)例えばボールを使った単元ではサッカーやハンドボールタグラグビーなどは校庭単元となりますが、バスケットボールやバレーボールなどは体育館で行うのが原則です。跳び箱もそうです。なので、校庭でできそうなものは校庭、体育館でしかできないものは体育館というように、1時間に1クラスしか実施できない体育館を主軸にして校庭単元とのバランスをとります。体育館は貴重な施設資源なのです。

 

 しかし、なんでもかんでも入れればよいものではなく、同時に教科の系統性を重視します。

 私の場合は高学年単元をゴールに設定します。例えば高学年でバスケットボールについて授業をするのであれば中・低学年のうちにバスケットボールについての基礎的な技能や思考、関心を高めることが重要です。なので低学年のうちに「ボールを投げる、受け取る」ことの動作の楽しさを味わせ、中学年でポートボールやティーボールなどを通して「ボールを投げる、受け取る」ことを生かしたチームスポーツを体験させる。これらの経験が高学年のバスケットボールやハンドボールなどに生かされるだろう。というカリキュラムの系統性についての仮説をもつことです。

 そしてこれらが決まればどんな道具を揃えればよいのか、③用具・器具と施設の管理についての大体の見通しをもつことができます。我が校では投力の低下を課題に挙げているので、上述したような「ボールを投げる受け取る」単元を整備したければ、子供達にとって投げやすく、受け取りやすいボールを揃えればよいのです。

 

 

  

ミカサ ソフトバレーボール 小学校教材用ソフトバレーボール100g NEWデザイン SOFT100G

ミカサ ソフトバレーボール 小学校教材用ソフトバレーボール100g NEWデザイン SOFT100G

 

  

 

 

 これらのボールのよさは、公式ボールではないもののボール表面が柔らかく、突き指やボールが当たっても大きな怪我に繋がりにくいのが特徴です。なので、子供達に自由に練習させたり遊ばせたりしても安心して使わせられるよさがあります。バレーボールはビーチバレーのような形態をしていますが、授業で使わせると本格的なバレーボールのように白熱します!

ちなみにハンドボールは低学年用のサッカーボールとして使っても十分なものです。一石二鳥も狙いましょう!(筆者はモルテンよりミカサ推しです笑)

 

④各種体育行事の企画・運営 体育主任はマネジメント業務だ!

 体育行事の運営も非常に重い仕事の一つです。

 体育行事の大きなものの一つに運動会があります。ここで重要なのは職員会議で提案する資料です。

 まず、職員会議の提案が膨大なため、3月までの時点で次期体育主任が初心者でも大丈夫なように昨年度までの反省を洗い出し、それをもとに素案を作っておくことが肝心です。私の場合は、9月までの資料(運動会、水泳学習、陸上大会)までは作ってしまいます。これがないと次期体育主任は泣きます。(私がそうでした。笑

 

 運動会について大きなものは係の担当職員を決め、係児童をどのように動かし運動会を運営するかです。初任者や若手の先生が多くなってきているので、係の仕事をふっても初めて経験するのでわからないといったことがざらにあります。なので、体育主任としてはそれぞれの仕事の理想やゴール図、子供達がこんな場面でこのように動いて欲しいというビジョンを示します。

 

 また、各学年の表現活動についても少し配慮を入れます。それは表現ダンスと演舞のバランスです。表現ダンスは流行りの曲に合わせて踊るもの、演舞は伝統的な踊り(ソーラン節など)を指します。運動会は小学校が主催する地域のお祭り的な側面をあるので、地域の年配の人にも若い人にも子供達の活躍を喜んでもらえるような配慮が必要です。なので、各学年がどんな表現活動をしようとしているのか、各学年の体育部員を使ってリサーチし、種目の偏りや重複がないように配慮することも必要です。

 

 ここまで書いていて思うことは体育主任は動くよりも頭を働かせて、職員が動きやすい提案をすることが肝心です。体育主任は力仕事よりもマネジメント業務。組織プレーを作っていくことが大切だと考えます。

 

⑤運動クラブ・体育委員会運営 子どもも体育科運営に参画させる

 体育委員会の児童もうまく使えるとよいと思います。体育委員会を志願してくる子供達は運動好きな子が多いです。なので、学校内の子どもたちに運動を好きになってもらうにはどうしたらよいか、子供目線で考えさせると面白いアイディアがたくさん生まれます。

 私の学校では、体育委員会が主宰して朝の10分間運動クラブというものが発足しています。ボールを使った遊びの企画や体力を高める走・跳の運動を取り入れた鬼ごっこなど、様々です。運動好きな子たちなので、委員会以外の子だけでなく自分たちも楽しめるものになるので、意欲的になります。また、委員会活動では用具の整備や新しく来た体育用具などの運搬をやってもらっています。新しく来た体育用具は一番先に体育委員会の子たちで遊べるという特典をつけることでモチベーションを下げないように工夫しています。笑

 

その他 対外行事・特設部活動について 量より質を重視

  地域によっては、陸上大会や水泳大会、駅伝大会などの行事に参加するために、体育主任を主とした特設部活動が組織されることがあります。

 その中で私が重視していることが以下になります。

 

①練習時間は30分以内の休憩なし

②期間はなるべく長く設け、運動が習慣化するように促す

③練習計画を綿密に立てて、週ごとの達成目標を教員と子どもたちで共有する。タイムや距離をここまで伸ばす!など、めあてをもたせるとわかりやすくてよい。

④一人ひとりに必ず一声かける。課題について話したり、よくできているところを褒めたり励ましたりする。「先生は見てくれている」に勝るモチベーションアップはありません。

 

 

終わりに・・・働き方改革とやらと体育主任と。

 ここまでつらつらと、体育主任を全て知ったかのように書いてみましたが、私より優れている体育主任の方はたくさんいます。当たり前ですが。笑

 我が校でも働き方改革と銘打って、業務の効率化と削減が色々と行われているわけですが、「体育主任はどの学校でも遅くまで残って色々な準備をしている・・・」みたいなイメージがあると思います。これらの仕事に加えて学年の仕事や行事、学級経営そして本業である授業をしなければならないのですから!!

 

 私が進めているのは業務の分業化です。部活動の練習計画も陸上や水泳スペシャリストにお願いしました。初任の子でもかなり綿密な練習計画を立てる能力を持っています。子育てに忙しく、練習に参加できなくても計画について意見を聞くことぐらいはできます。教員の中には、体育が専門でなくても競技の経験があり、インターハイに出場しましたなんて人が結構隠れています。陸上経験がなくても、サッカー経験者で今でも1800mを6分台で走れる若手がおり、その人に先頭のペースメーカーをお願いしました。そういう人たちを活用しています。

 そういった人材を見つけ出すのは日々日常のコミュニケーションにあると思います。話をしないことには始まりません。色々な人を頼りにすることで自分の業務が軽減されることを、身をもって学びました。

 

 そうしていると、18時台に帰れるようになりました。自分一人の力は無力であると思い知ること、先生たちの十人十色、自分が活躍できるフィールドを与えてあげると特に若手の先生は得意分野を生かして進んでお手伝いをしてくれるようになりました。

 

以上です!体育主任の仕事に悩む人たちの一助になればいいなぁと、思います。

 

 

今年度もひと段落。

 お久しぶりです。週一更新!と息巻いていましたが、口だけの男のようです。(苦笑

 今年度もあと二ヶ月。まとめの時期に入ろうとしています。研究授業も終わり、少し落ち着きました。

 今年は5年生担任ですが、持ちあがるのかどうなのか、校内人事はフタを開けるまではわからない。一年勝負のつもりでやることが大切だと、思っています。

 

反省点。どんな子供や学級に育てたかったのか。ビジョンの欠落

 自分の大きな反省点です。5年生は忙しく、できれば避けて通りたいと思われがちな学年とも言われます。それに加えて体育主任という重い分掌を任されてしまったために、あまり学級に手をかけられなかったということもあります。言い訳ですが。

 振り返ってみても、この一年間でどんな子供達を育てたかったのか。と問われると、はっきりとした答えが見当たらないなぁと思います。子供達の実態を見て、どんな学級経営を進めていくのか、当たり前のことですが、改めて考えてみると非常に大事なことだと、反省し、勉強になりました。こういう教員になってはいけません。

 

その中でも希望はある

 1月のある日、研究授業がありました。その中のやりとりで、たまたま子供の意見をうまく拾えたことがあって、その子供のことを励まし、ものすごく褒めました。すると、他の子も続いて一生懸命、真剣に自分の考えや意見を伝えようとする場面がありました。子供達は「よかったよ!」「君の持っている力はすごい!」「もう一度やってみよう!」こんな当たり前の励ましの言葉を、担任である私からからかけられるのを待っていたんだな・・・。と。恥ずかしながら涙が出るくらい反省しました。

 自分にはこの子たちにやれることまだまだ残されている。

 

短いですがこの辺で。

良薬はやはり・・・

 私は手に限って乾燥肌らしく、この季節ともなるとやはり、ささくれや赤ぎれになやまされます(´・・)

チョークで手が切れることもしばしば・・・。そんなどうでもいい、なみおさんの乾燥対策について書いてみようかなと思います。

 

これまでの乾燥対策いろいろ。

これまで、色々なハンドクリームを試していました。

 

メンソレータム ハンドベールうるおいさらっとジェル 70g

メンソレータム ハンドベールうるおいさらっとジェル 70g

 

 定番のメンソレータムですが、このツーンとするにおいが人によって好みが分かれますね。前は結構使ってましたが、今は別のものを使っています。(リップクリームはメンソレータムを使ってます。)

 

ミルふわ ベビークリーム 60g

ミルふわ ベビークリーム 60g

 
ピジョン ベビークリーム 50g

ピジョン ベビークリーム 50g

 

子どもをもってから思い知らされたベビー用品のすごさ。ちょっとお高いのですが、匂いがないんです。これは使えます。

 子供用なので容量が大人だと足りない気がしますが、メンソレータムのにおいが苦手な人は選択としてありだと思います。

 

 

最近使っているもの

それがこちら

 

【指定医薬部外品】ユースキンA 120g (手荒れ かかと荒れ 保湿クリーム)

【指定医薬部外品】ユースキンA 120g (手荒れ かかと荒れ 保湿クリーム)

 

 

むかーし、おばあちゃんの家の薬箱にあったような見た目と、ほんのり香るメンソレータムのにおい。やはり、良薬はスタンダードなものが一番効くのだなぁと思った今日この頃。

 なんだか別趣旨のブログになってしまったw

たまにはこんなのもいいかなぁとw

 

話変わって、今読んでいる本

 

 

この本は社会学者の調査の“泥臭さ”がにじみ出ていて「いいなぁ・・・」と思いながら読んでいます。エスノグラフィーという手法を用いて学校で「やんちゃ」と呼ばれる子たちの生活世界をうまく描き出している。学校生活、教師との関係、友達・先輩・後輩の横と縦の人間関係と社会との間で生きる姿が、様々な社会学の知見ともすり合わせながら書かれています。

もう少し読んだら記事にしようかなぁと思っています。

 

「あの薬」がなかったら、世界の運命は変わっていた 「世界史を変えた薬:佐藤健太郎」講談社現代新書

たまには教育とは関係ない読書。

アマゾン以外に、自分はお金の節約のためもあってブックオフなどをめぐって本を買うことがあります。その時ピン!と目に止まった本がこちら。 

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

 

 

 なみお家は医療関係者が多いこともあって、私も少し医療にも興味があります。

 医薬品にお世話にならない人はいないと思います。お腹が痛い、熱がでたなどなど。私も最近では腰痛をこじらせて整形外科の薬に頼っていました。

 この本で考えさせられるのは、医薬品というものは、先人の多くの犠牲の上に成り立っているありがたい遺産であるということ、それらはたまたま”偶然”に発見されているということ、「今まで効能がある」信じられていたものが今では考えられないようなものでありふれていること・・・などなど挙げればきりがない。

 また、そのエビデンスがはっきりと示されたにも関わらず、浸透していかなかった医薬品もあった。

 

お薬の歴史

医薬の歴史は非常に古く、その歴史は「人類発生の前からあった可能性があった」と言う。

 南米に住む「オマキザル」はヤスデ(虫)を体にさすって、ヤスデの放出する科学物質を体に塗りつけることで、蚊などの昆虫を追い払っていたそうだ。つまり、人がサルだったときから医薬と名がつかなくとも、その効用をうまく利用して生存競争を勝ち抜いてきた。

 ヤドリバエという虫もある種の毛虫に卵を産み付けて幼虫を体内に寄生させ、成長させる。蛹となり成虫になった瞬間、宿主の体をやぶって外界に出てくる。モンシロチョウの幼虫に寄生する「アオムシコマユバチ」を想起させるが、まさにこれと同じである。

 しかし、この毛虫もだまってはいない。生存するために普段は食べないドクニンジンなどの毒性植物を食べることによって生存確率を上げることに成功した。虫も薬草の効用を頼って、生存してきたというわけだ。

 

  筆者が言うに、医薬品の歴史は

「いったいなぜこんなものが効くと思ったのかのだろうか」と、頭を抱えたくなるような事例に満ちている。

という。

 古代メソポタミアでは、動物の糞、腐った肉や脂、焼いた羊毛、豚の耳垢などの汚物がその主力であった。これらは”病気が悪魔の仕業”と考えられていたことに由来する。人間に対する今でいう手術にしても、頭蓋骨に穴を開けて悪魔を追い出していた。

 水銀はその銀色に輝く液体という外観から神秘的な力を秘めた物質として考えられていた。病毒を排出を促すために、発熱し、涎を垂れ流す状態になるまで投与されていた。作曲家のシューベルトシューマンも直接の死因は水銀中毒ではないかという説があるという。

 このように医薬は人類と疫病の戦いの歴史であり、先人の多くの犠牲の上に成り立っているありがたい遺産であることを実感させられる。お薬は大切に飲もうと思ったところである。

 

医薬はエビデンスベースで語られるようになった。教育は?

 効き目がなく、害毒の方がずっと強かったかつての「医薬」は、皇帝などの要人の命を奪いさえしながらも、その効用が疑われることなく何千年、何百年と使われ続けていたのだという。これについては筆者は

「我々は、効いてもいない薬をなぜか「効いた」と感じてしまう、不思議な傾向を持っているらしい」

 と述べるに留まっている。

 これは「公教育の構造的転換」を迫られている今の教育にもあてはまるところがあると私は思っている。

 病気は、先にも述べた通り、悪魔の仕業という考えられていた。それから感染症などの自然事象が原因であるというエビデンスが広がったことによって、第一歩を踏み出した。現代も行われている臨床試験が初めて行われたのは1747年であった。ジェームズ・リンドが壊血病患者に対して違う食事を与えて、どの食べ物が一番効力があるかを試したのが初めてであったという。

 教育はどうだろうか。ペーパーテストでその指導法によって子供達にどれほど知識が定着したか、そのエビデンスがある程度測られるが、子供達の知識量がその指導の是非を問うものではないことは周知の通りだ。学習に対する関心・意欲に始まり、「対人的なコミュニケーション能力や自身の感情をうまく操る能力といった「非認知的」な面での個人の評価の違いが、その後の子供達の地位や報酬に関係するようになっている」という指摘もある。(ハイパーメリトクラシー) (本田由紀 2005)

 

 ただ、関心・意欲や対人的コミュニケーションの力などをはっきりと測るような尺度は(少なくとも私の中では)見当たらない。そして、それらを育成するための指導法なども多く開発されているが、子供達にどれほどの変容が見られたかというのは指導者の主観によるところが大きいと思う。子供達の10年後20年後どうなっているのかという追跡調査をもってしてもだ。このように教育はエビデンスベースで非常に語りにくい性格を持っていると思う。”よい”と思う指導法があったとしても、だ。

 今行っていることが、来年、10年後、100年後の社会から見たら「ありえない」とか「考えられない」と語られる可能性は十分にありうると思う。

 効いていない薬がなぜか効いたと感じてしまう。同じように他者からみたらちっとも子どもたちの変容が見られない、しかし自己満足で「子供たちによい」と決めつけてはいないだろうか。同じように、アクティブ・ラーニングやプログラミング教育、道徳の教科化は子供達に何をもたらすのか、基本的なことだが、自己内省が必須である。あくなき試行錯誤の戦いが始まろうとしている。

 

「いいもの」が必ず広がるとは限らない

15世紀の大航海時代に海の男たちが恐れた病に「壊血病」がある。

f:id:Nami_o_san:20190103010440j:plainf:id:Nami_o_san:20190103010509j:plain

 

ONE PIECE  5 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 5 (ジャンプコミックス)

 

 

「この病気の原因はビタミンCの不足であることがはっきりしている。(中略)重要なビタミンC源となる新鮮な野菜や果物などは、腐りやすいために船に積まれることはなく、これが船乗りたちに大きな悲劇をもたらした。」

 当時はそれこそビタミンCが発見されていなかったとはいえ「その対策が知られていたにも関わらず、なぜかそれが広く普及しなかった」人の命がかかっているのにも関わらず。そして、「単に兵士が怠けているだとか、強制労働させればよいというと主張するものもいた」その要因として「病気の原因と治療法、その結果の関連性について整理がついていなかったことが、壊血病による悲劇を大きく長引かせた」のだという。

 

 エビデンスがはっきりと示されている、にも関わらず広がらない。よいと思ったものが受け入れられない・・・色々な人が経験していることだと思う。しかし、「よい」とされるようになるまでには、多くの成功体験と犠牲を払う。よりよい教育を求めて、様々な策を練って研究し、「戦い続けろ!」と、医薬の先人たちは言っているように思える。

 アクティブ・ラーニングやプログラミング教育、道徳の教科化・・・これらは子供達に何をもたらすのか、「よいものは何か」という”戦い”である。想像していた以上に、新たなことを始めるのには覚悟と勇気がいるものだと考えさせられる。

 

※語弊があると思われる部分を訂正しました。(1月3日23:54)

 

今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

ブログを書こうと思ったら日付が変わってしまっていたw

 今年は大チビ(長男)が幼稚園に入園する予定であり、去年の暮れに小チビ(長女)が産まれたこともあり、色々忙しくなりそうな なみお家です。

子育ては高コストである

さて、この記事も大チビ(長男)と小チビ(長女)を寝かしつけた後に書いているわけだが、いざ親ともなってみると子供を産み育てることは非常に高コストであると感じます。

 

nami-o-san.hatenablog.com

 

子育ての保育料、学費のような金銭的なコスト以外にも非常に時間が取られるような時間的コストも非常に高い。日常生活においても子供にかける時間がとても多いと感じざるをえません。ご飯を作る、保育園の送迎、風呂に入れる、病気になったら病院に連れて行く、それに伴って仕事を休む、看病をする、薬を飲ませる・・・あげたらキリがないものです。

 時間が貴重なものであるということを思い知らされるとともに、どうやったら時間を生み出せるのか、ということをとても考えるようになりました。

 

それでも子育ては楽しい

子供といることで、学ぶこともたくさんあります。

過去の記事でもこんなことを書いている。

 

何にしても楽しく過ごしている、そして子供の成長が手に取るようにわかる。集団生活の中で悩み、苦しんでいることもあるのだろうけどもその中でも、今までできなかったことができるようになっている。分からなかったことが分かるようになる。

この 日々の生活 と 我が子の成長 の相互作用によって信頼関係が確立していくのだなぁと。ひしひしと思うわけです。そして自身に問いかける

「そういう思いを、自分の担任している子の親御さんたちに、どれだけしてやれているのだろうか?」と。

 

 保護者目線で学校や教師について考えることもできるようになってきました。

 

 子供がいるいないに関わらず気づけよ!と、ツッコミが飛んできそうですが・・・w

 ただ、自分は自分の子供をもってみなければわからなかったことなのです。

 

 

 

 そして

 

 

妻への感謝も忘れず・・・。最強、(最恐?)かつ、同業者なのでよき理解者でもあります。

2019年も良い年でありますように・・・。

 

 

お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

大チビ(長男)が遊園地で遊んでいる間に今年の総括を書いて見ようかと思います。

 

はてなブログを始めてみて

 今年の6月くらいからブログを始めてみました。何十年前にも、自分のプライベートな話題で書いていた時期もあったのですが、久しぶりにやってみるとブログも様々な形があり、機能も非常に使い勝手がよくなっていることに驚きます。

 私にとって教育に関することはニュースや論文、書籍などが主な情報源だったわけですが、(本当に今更ですが)実践家や研究者の皆さんの個人ブログも非常に勉強になり、今では貴重な情報源の一つになっています。Twitterも同じくです。それぞれの置かれた立場で、実践や研究を積み上げ、アウトプットできるというのはその人の一つの高度な技能であると感じます。見習わなければなりません。

 自分の実践や考えていることをアウトプットする作業は、思考の整理にもつながりますし、勉強になります。

 しかし、それらを発信することには責任が伴います。著作権に気を配り、考えの根拠を明確に示し、引用だらけの劣化コピーにならないよう、気を配らねばなりません。そして、その作業が自分を高めてくれるものと思っています。なのでこのブログはこれからも続けていきたいとおもっています。読者の方にどこまでプラスになるかはわかりませんが・・・(そして、読む人がいなくとも。笑)

 

やっぱり教育や研究が好きだ と思った今年

 今年の初め、公開研究会で授業をしました。現場の教壇に立つ教師として、授業を追求するのは最低限の責任であると考えています。(研究不要論も色々なところで飛び交っていますが、それはやり方の問題であると思います。それはまた別の機会に)

 授業を研究することで、その都度、授業に対する考え方や見方、子どもたちへの関わりに変化があることを感じています。そして、それを元に実践することで少なからず子どもたちにも良い影響を与えているとも感じます。これは私にとってのモチベーションにつながっています。

 そしてブログで自分の考えを書くときも、様々な参考文献と照らし合わせながらの作業になり、時間はかかるのですがある意味「ミニ論文」「ミニ研究」をしているような気分で面白いです。

 

 

節目の年に新しい目標を立てようと思い立つ

 授業を考え、実践し、また新たに授業を作り出す・・・という日々が毎年繰り返されていました。なのですが実は私は授業外にもう一つ専門的に勉強していたものがあります。教育相談と生徒指導に関することです。

 プロフィールにもあるとおり、教育の中でも教育相談や生徒指導の分野で論文を書いて修士号を取ったので、その後も勉強をちょこちょこ続けていました。毎年、不登校や非行、特別な教育的ニーズをもつ子どもを担任し、その保護者と子どもとの関わり(というか、もはや“戦い”です。笑)について追求してきました。

 実践を積み重ねてはいたものの、なかなかそれを形にする場に恵まれなかった。というか、忙しさを言い訳にその場に立とうとすらしなかったのです。

 なので、免許状更新講習の案内もきたこの節目の年に、新しいことにチャレンジしてみようかと思っています。またその話はおいおいしていきたいと思います。

 そしてこのブログの更新頻度も!夏〜秋口は更新が全くなかったのでとりあえず週一くらいを目標に頑張ってみようかと思います。

 

 読者の皆さまがよいお年を迎えられますよう。来年もよろしくお願いします。

 

 

もうすぐ冬休み 〜読みたい本〜

本が積み上がってきました・・・。

というわけで、ブログで宣言しておけば少しは自分へのプレッシャーになるのではないかと思い、冬休み中に読むぞ!という本を羅列していこうと思います。

 

公教育をイチから考えよう

公教育をイチから考えよう

 

  

どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

 

 最近、どこの講演会にもひっぱりだこの苫野先生の本。

もともとは哲学の専門家の方が、哲学の視点から教育を見るという一冊。こういう視点で教育を語る方を見る(少なくとも自分にとっては)のはあまりなかったなぁ。院生のときに心理学の先生が哲学オタクだったというのはあったけど。哲学から教育はどのように見えるのか、注目です。

 

日本の15歳はなぜ学力が高いのか?:5つの教育大国に学ぶ成功の秘密

日本の15歳はなぜ学力が高いのか?:5つの教育大国に学ぶ成功の秘密

 

 苅谷先生の本は外せない。天才だと思う。苅谷先生の本はいくつか読んでみたけども、どれも初学者に読みやすい。 社会の構造がどのようになっていて、この先どのように変わっていくのか、非常に示唆に富んだ著作ばかり。

 

PAC分析実施法入門―「個」を科学する新技法への招待

PAC分析実施法入門―「個」を科学する新技法への招待

 

 個人的に注目している研究法。PACは Personal Attitude Cnstruct の略で個人別態度構造と訳される。PAC分析を用いることで個人がある一つの事象や行為に対してどのようなイメージの構造をもっているか、アンビバレントな認知、その個人がもつコンプレックスまで測定できるという。

一昨年(?)の生徒指導学会でPAC分析を使用して初任者がもつ生徒指導に対するイメージの変容(確かそんな感じの)という研究発表を聞いたことがきっかけで「これは面白そう!」と、興味をもった。

 

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

 

国語は全く専門ではないのですが、いろんなところで紹介されているのでミーハー的に買ってしまった一冊。ただ、どの教科を教えていても「読む・書く・話す・聞く」といった意思疎通に関わる能力というのは非常に重要で、どうやって育てていけば良いか常に頭を抱えている。ライティングワークショップという言葉も初めて聞く言葉なので、非常に興味深いです。

 

ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき

ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき

  • 作者: フィリップ・ジンバルドー,Philip Zimbardo,鬼澤忍,中山宥
  • 出版社/メーカー: 海と月社
  • 発売日: 2015/08/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (7件) を見る
 

 ずっと前から読んでみたいと思っていたものの、そのボリュームに圧倒されて買うに至るまで勇気が出なかった一冊。値段も4000円、ページも800ページ近くと辞典のような本である。

フィリップ・ジンバルドーの監獄実験のことは知っていて、たまたま機会があってスタンフォード大学に観光に行ったこともある。人間の悪の深層とは何なのか、ちょっとすごいタイトルなんですけど、なんとか読破したい・・・。

 

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である

 

 統計学もちゃんと勉強したい・・・。(今更

院卒のくせして統計がまともにいじれないし読めない、というのが今でも致命的であると思っている・・・。ちゃんと勉強しておけばよかったなぁ。